埃まみれのLANケーブルが命を救う? 医療DXの最前線で学んだ「守り」の真実

医療現場で「DX(デジタルトランスフォーメーション)」や「IT化」という言葉を聞かない日はありません。しかし、その華やかなデジタル化の影で、情報セキュリティ対策は「専門的で難解」「面倒なコスト」として、現場では後回しにされがちではないでしょうか。

技術の進歩は、私たちの想像を超えるスピードで進んでいます。1年後には、医療現場でも「AIセキュリティ」が当たり前の話題になっているかもしれません。私たちが今、真に向き合うべきセキュリティの本質とは何なのか。その答えは、最新のカタログの中ではなく、意外にも「現場の埃(ほこり)」の中に隠されています。

【驚きの視点】セキュリティは「埃」の中に隠れている

「セキュリティ対策=高度な防御システムの導入」という思い込みを、一度捨ててみてください。最強のセキュリティレベル向上策は、もっと泥臭い「現状把握」から始まります。

ある医療機関の調査では、検査機器の裏側を覗き込み、外部と接続されたままのネットワークポートが「ぐすっと」刺さった状態で放置されているのが発見されました。これは機器のメーカーですら気づいていない、深刻な侵入リスクでした。

「1つの人海戦術として、やはり埃まみれになりながら、うちのメンバーとは現場を這いつくばる(高すん)んです。メーカーすら把握していない接続点を見つけ出し、一つひとつ対処していく。それだけでセキュリティレベルは一気に上がります」

専門家が泥臭く現場を歩き、物理的な接続点を確認する。「現状を知る」というこの地道な作業こそが、どんな高価なシステムよりも先に実行すべき、最強の防御策となるのです。

【組織の再定義】「医師事務作業補助者」が最強の戦力になる理由

セキュリティ対策を「システム部門だけの仕事」にしていませんか? 滋賀県の大津赤十字病院では、47名体制の医療情報部門のうち、過半数を超える25名が診療情報管理士や医師事務作業補助者などの「支援職」で構成されています。あえてIT専門職と事務職をミックスしているのには、戦略的な理由があります。

ITのプロではない彼らが、なぜセキュリティの要となるのでしょうか。

  • 「通訳者」としての役割: ITの専門用語を現場の言葉に翻訳し、心理的ハードルを下げる役割を担います。
  • 現場への偏在: 支援職が各部署にいることで、組織の隅々までセキュリティ意識を浸透させることができます。
  • アクションカードの活用: 有事の際、ITの深い知識がなくても「アクションカード」に従えば、全員が迷わず動ける仕組みを構築しています。

組織の「縦割り」を壊し、人を中心としたレジリエンス(回復力)を育むこと。これが、システムの壁を超えた強固なインシデント対応力を生み出します。

【戦略的分類】「医療DX」と「病院DX」を混ぜるな危険

全てのデジタル化を「DX」と一括りにすると、戦略の焦点がボヤけてしまいます。大津赤十字病院では、以下のマトリクスを用いて情報を整理しています。

  1. 医療DX(国策): オンライン資格確認など、国の方針として対応が必須となる領域。
  2. 病院DX(自院の最適化): 院内スマートフォンの導入など、自院の業務効率や患者サービス向上のための領域。

これらをマトリクスにプロットし、影響度の大きさを可視化することで、「限られた予算と人員をどこに集中すべきか」が見えてきます。そして、どの領域であっても、企画・設計段階からセキュリティを組み込む「セキュリティ・バイ・デザイン」の思想が、表裏一体で存在している必要があります。

【逆転の発想】「その個人情報、本当に必要ですか?」という究極の防御

「情報をいかに守るか」だけでなく、「そもそも持たない」という引き算の思考は、究極の防御策になります。

過去には、ナースコールシステムから13万人分の個人情報(住所や家族構成など)が漏洩した他院の事例がありました。そもそも、ナースコールにそこまで詳細なデータが必要だったのでしょうか?

システム連携において、私たちは常に2つのプランを天秤にかけるべきです。

  • Plan A(切る勇気): 保有する必要のない情報は、リスク最小化のために連携を遮断する。
  • Plan B(持つ覚悟):IT-BCP(システムダウン時に紙とペンで診療を継続するための約束事)の観点から、その情報が手元にないと業務が止まると判断した場合は、あえて継続保有して冗長性を確保する。

「利便性とリスク」のトレードオフを意識し、情報の要不要を戦略的に選択することが求められています。

【地域共助】一館で悩まない。滋賀県に学ぶ「共助」のネットワーク

セキュリティの悩みは、一病院だけで抱え込むには重すぎます。とある地域では、平日の昼間に30名以上の担当者が集まる「病院情報システム担当者の集い」が定期開催されています。

特筆すべきは、これが「平日の昼間」に行われている点です。これは地域の経営層が、セキュリティを個別病院の課題ではなく、「地域のインフラ維持コスト」として公認している証左です。

この集まりでは、以下のような実践的な訓練が行われています。

  • ミドシC: ゲーム感覚でサイバー攻撃への対応を学べるシミュレーター。
  • 総合チェック: お互いの資産管理状況をチェックし合い、脆弱性を補い合う研究。

「私は『共助』という言葉にこだわっています。被害に遭った病院を孤立させず、寄り添う気持ちを持って共に考えていく。そんな地域全体のネットワークが今、求められているのです」

結論:2040年を見据えた「しなやかな組織」への一歩

これからの時代に求められるのは、単に「情報を守る」だけのサイバーセキュリティではありません。攻撃や障害を受けても被害を最小限に抑え、素早く回復する組織能力、すなわち「サイバーレジリエンス」への意識シフトです。

最新のEDR(不審な動きを検知・対応するツール)を導入することも一つの手段ですが、それ以上に重要なのは、経営層を巻き込み、組織全体をレジリエンスの観点から「デザイン」することです。

「あなたの病院のLANケーブルの裏側に、今日から向き合う準備はできていますか?」

セキュリティの第一歩は、最新のカタログを広げることではありません。今日、現場の埃を払うことから始まるのです。